「黒川の女たち」を観る
2025-08-06


今日は広島に原爆が投下された日で、今年は敗戦から80年。
だからというわけではないのですが、ネットで記事を読み、気になっていた映画「黒川の女たち」を見に行って来ました。
映画館には年配の女性が多く見に来ていました。
これは若い方にも見てもらいたい映画です。

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1931年の満州事変の後、1932年に満州国が建国された。
日本国内は世界恐慌のあおりを受け、深刻な経済不況に陥っていた。
1936年に「満州農業移民100万戸移住計画」が国策となり、満蒙開拓のために全国各地の人々が開拓団として入植する。
団員は困窮する農家の次男や三男などが中心で、1945年の敗戦まで約27万人が移住したと言われている。

岐阜県加茂郡黒川村(現白川町)は1941年から、およそ600人が入植した。
彼らが入植した土地はすでに開拓されていた。というのも満州人が暮らしていた土地を安く買い叩き、奪った土地だったからだ。

日本の敗戦が色濃くなった1945年8月9日、突如としてソ連軍が満州に侵攻してくる。
関東軍は開拓民を置き去りにして逃亡する。
開拓民は何も知らされていなかった。
やがてソ連兵だけではなく、家や土地を奪われた満州人から襲撃を受けるようになり、集団自決を選択する村もあった。
黒川開拓団は生きて日本に帰るために、ソ連軍に助けを求めた。
ソ連軍はその見返りとして、女性を求めた。
黒川開拓団は既婚女性ではなく、数え年18歳以上の未婚の女性、15人を性接待のために差し出すことにする。
女性たちは約二カ月間、順番にバラックのような部屋でソ連兵に犯された。
淋病や梅毒などの性感染症やチフスなどに罹り15人のうち4人が命を落とし、日本の土を踏めなかった。

終戦から1年後、生き残った開拓団員451人が帰国する。
しかし、人身御供として差し出された女性たちは差別や偏見、誹謗中傷の的となる。
彼女たちを指名した団員幹部たちや身内からも心ない言葉をかけられ、彼女たちは村にいられなくなり、よその土地で過去を隠して暮らしたり、未婚のままで亡くなった人もいる。
彼女たちの存在は忌むべきものとして、ないものとされようとしていた。

1982年、開拓団で「性接待」を強いられた女性たちに捧げて有志の寄付で「乙女の碑」が白川町黒川の佐久良太神社境内に建てられる。
その碑には説明が一切なかった。

1983年、月刊『宝石』が黒川開拓団の女性たちに取材して、性暴力の件を記事にしたが、記事が掲載された雑誌が発売されると、遺族会が全部回収して、焼いた。
かつて安江善子さんが遺族会が作った文集に満州での体験手記を寄稿したが、肝心な部分は本人の許可なくすべて削除されていた。
このように性暴力の記録はことごとく消され、元団員には箝口令が敷かれていたのだ。


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