【第四日目】
二日間、ヘルシンキ市内を回ったので、この日はヘルシンキ郊外へ行くことにしました。
友人が大好きなヘレン・シャルフベックの絵がある、小さな博物館まで行きました。
博物館はラーセポリ博物館(Raaseporin Museo / Raseborgs museum)といい、タンミサーリ(Tammisaari / Ekenas)という町にあります。
*(フィンランド語/スウェーデン語)
友人が交通機関を調べてくれたので、わたしはただ着いて行くばかりで、楽ちんでした。
VRアプリで電車の切符もバスの切符も買えました。
あまり電車やバスがないので、気をつけないと接続が悪く、帰りが遅くなります。
ちょうどヘルシンキからの電車が全線改良工事をしていたため、ヘルシンキからカリス(Karyaa/karis)までバス(片道10ユーロ)、カリスからローカル線(片道 3.40ユーロ)に乗り、タンミサーリ(Tammisaari / Ekenas)まで行きました。
バスも電車も好きな座席に座れました。
田舎の風景が見られて、楽しかったです。
タンミサーリ駅から博物館(入館料12ユーロ)まではGoogleさんに頼りましたが、わたしの携帯では案内人が道から外れていて、不思議でした。
ヘレン・シャルフベック(1862年ー1946年)の絵はシャルフベック館にあります。
絵の他に彼女が使用していた杖とかイーゼルとかもありました。
英語の説明書きがなかったのが残念です。
軽く彼女の生涯を紹介しときますね。
1862年にヘルシンキに生まれる。
3歳の時に階段から落ち、足が不自由になり、一生杖をつく生活をした。
小学校に通えず、家庭教師に教わる。
11歳の時に絵の才能が認められ、フィンランド芸術協会の素描学校で学ぶ。
1880年、≪雪の中の負傷兵≫がフィンランド芸術協会に買い上げられ、奨学金を得ると18歳でパリに行き、画塾アカデミー・コラロッシで学ぶ。
≪雪の中の負傷兵≫ 1880年 アテネウム美術館蔵
1889年、≪快復期≫で国際的な名声を得る。
≪快復期≫ 1888年 アテネウム美術館蔵
1890年にフィンランドに帰国。ヘルシンキの素描学校で教鞭を執る。
1902年に療養をかねてヒュヴィンカーへ引越し、母と暮らすが、その後15年間、家に引き籠もって制作に集中する。
1914年、フィンランドを代表する9人の美術家のひとりとして、フィンランド芸術協会から自画像を依頼される。
≪黒い背景の自画像≫ 1915年 アテネウム美術館蔵
1918年、内戦が勃発。
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