2024-05-20
碌山館は平成に国の登録有形文化財に指定されています。
碌山美術館は1950年代に建てられました。
地元の教師たちの荻原碌山の作品を後生に伝えたいという想いとひいてはこの地に文化のシンボルをつくりたいという夢が、懸命な募金活動に結びつき、結果として、三十万人近くの老若男女から寄付が寄せられました。
建築地には、地元の穂高中学校の一部が提供され、手作業で工事が行われました。
小中学校に通っていた子どもたちも、手伝ったそうです。
入り口の左横に水が流れていました。
ツタが見事です。(ツタだよね)
「碌山の鍵」と書いてありますが、鍵なんでしょうか?
「LOVE IS ART, STRUGGLE IS BEAUTY. 碌山」と書いてあります。
館内にはヨーロッパで彫刻を学んだ荻原碌山の作品が飾られています。
真ん中に見える後ろで手を組んでいる女性の彫刻≪女≫が一番有名でしょうか。重要文化財です。
≪女≫は碌山が思いを寄せた女性、新宿中村屋の女主人、相馬黒光の面影が心象のモデルとなっているといわれています。
碌山がまだ守衛と呼ばれていた十八歳の時に、安曇野に嫁いできた相馬黒光と出会います。守衛は彼女から見せられた油絵に心を惹かれ、それ以来、美術に魂を奪われ、愛するようになります。
十九歳で上京し、ニューヨーク、パリへ渡り、現地の美術学校で好成績をおさめます。パリ時代にはロダンの≪考える人≫に衝撃を受け、彫刻家を志し、幾度かロダンのもとを訪ねて教えを受けています。
≪女≫と写真の右端に写っている、≪文覚≫と≪デスペア≫は「恋の三部作」と言われているそうです。(どういう彫刻か知りたい方は、碌山美術館のHPの中の「荻原守衛(碌山)の彫刻」を見て下さい)
≪女≫が完成してからわずか二十日後に、碌山は喀血して、三十歳という若さで亡くなります。
碌山館の後ろには詩碑があります。
小さすぎて読めませんが、親友であった高村光太郎が書いた守衛の死を悼む
詩が刻まれた詩碑。
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