美しい装丁の本です。
絵は誰が描いたかというと、この本の主人公、森類です。
森類はあの森鴎外(森林太郎)の三男で、本人曰く、「不肖の子」。
類は明治44年(1911年)に末子として生まれました。
兄弟は前妻との子、長男の於菟(おと)と後妻・志げとの子、長女の茉莉、次男の不律(ふりつ)、次女の杏奴(あんぬ)です。
今でいうキラキラネームがつけられていますが、ヨーロッパでも通じる名前を考えたそうです。(「おと→オットー」、「ふりつ→フリッツ」)
於菟とは21歳も年の差があったので、兄弟という感じではないですね。
前妻の登志子とはドイツから戻り、彼を追ってエリスが日本に来て、親族に無理矢理国に帰らせられた、そのすぐ後に結婚させられたようです。
鴎外も登志子もさんざんでしたね。もともと上手くいく結婚ではなかったようで、於菟が生まれてすぐに離婚しました。
登志子との後には懇ろになった女性もいたようですが、四十を過ぎて結婚したのが、名家の令嬢で、鴎外が「美術品らしき妻」と言った美女の志げです。
鴎外は子供達からパッパと呼ばれ、子供には甘い父親で、愛情をたっぷり与えていたようで、どの子も自分はパッパに愛されていたと思っています。
でも、不律と茉莉が百日咳にかかって苦しんでいるのを不憫に思い、安楽死をさせようとしたなんて、本当に子供を愛していたのかしら?
茉莉は薬を飲まされる前に志げの親が気づき、助かったようですが、不律は安楽死させられたようです。
一方、志げはわがままで気が強く、支配的な義母・峰子とは不仲で、子供を連れ別居します。
峰子も峰子なんでしょうけど、志げも志げです。
於菟と鴎外が会って話をしていると機嫌を悪くするので、於菟は外で鴎外と会わなければならなかったとか。
自分が器量がいいからと、子供達に器量が悪い、不器量だと平気で言うんですよ。
類が、今で言う学習障害なのかもしれませんが、小学校3年生頃から勉強について行けなくなった時に、「頭に病気が有ったらどんなに肩身が広いだろう」と言い、病院で病気ではないと言われると、「死なないかなぁ」と漏らしたようです。
昔のご令嬢は天真爛漫に思ったままを言葉に出す傾向があるのでしょうか?
まあ、こんな人だからこそ、よりパッパの方が好かれたのでしょうね。
「パッパは慈愛の人。お母さんは、偏愛の人」
長男の於菟について、類たち兄弟はあまり書いていないようですね。
彼が年上過ぎな上に、志げが嫌っていたので、類達兄弟とはあまり接点がなかったからでしょうね。
茉莉は16歳で結婚したのですが、結婚してからも家事も何もせず、子供にもかまわず、外出すると夜遅くまで帰ってこなかったりと、勝手気ままに暮らしていたようです。
「いつも茫洋と、己の世界で漂っている」人です。
あっぱれとしかいいようがないですわ。
夫の山田珠樹はよく我慢したと思いますよ。
セコメントをする