曾野綾子 『「いい人」をやめると楽になる』&『疲れない人間関係のヒント』
2010-04-10



今日も谷根千を歩いてきました。
パティシエイナムラショウゾウの前にはいつも以上に長蛇の列が。
そろそろ暖かくなったので、谷根千も人が多くなりますね。

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人間関係に疲れてしまうことってありませんか?
職場は職場で、お金をもらっているのだから、人との触れ合いは求めてはいけないとはわかっていても、それでも何か暖かい触れ合いが欲しくなりますよね。
そんな時に、読んで、元気をもらえるのが、次の2冊です。

曽野綾子さんはキリスト教徒の作家です。私は彼女の書いたものでは、『神の汚れた手』や『太郎物語』を読んでいます。
『「いい人」をやめると楽になる』と『疲れない人間関係のヒント』の2冊は、彼女の書いた小説やエッセイから取った言葉を集めたものです。

人に理解されずに、悲しくなった時に、こういう言葉がいいでしょうか。

「私はいろいろなことを諦めたが、中でも割と早くから、人に正当に理解されることを諦めたのである。つまり社会が、ある人を正しく理解し、その当然の結果として、公平かつ平等に報いる、などということは、言葉の上ではあるかもしれないが、実際問題としてはほとんでありえないことだということを、別に誰にも習わなかったが、ほとんど本能的に知ったのである。
   (中略)
人は他人のことを、正確に理解することはできない。これは、宿命に近いものである。だから人間は、正義や公平や平等を求めはするが、その完成を見ることは現世ではほとんどない。それをいちいち怒るような幼い人になると、一生それだけで人生を見失うのである。
   (中略)
しかし、「悪評」は保ちがよく、安定している。ちゃっとやそっとのことでは、その評判が変化したりはしない。世間は、悪評のある人物には最初から期待しないから、その人は無理をしなくて済む。そして少しいいことをすると、運がよければ意外に思ってもらえたりもする。だから、どちらかというと悪評のある人のほうが、当人は楽に生きられる。」(『「いい人」やめると楽になる』より)

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人にはよく思われたいという、そういう思いは誰にでもあります。
その思いが強すぎると、苦しくなります。
そんな時に、人が人を理解するというのは、ありえないことだ、と言ってもらえると、少しはほっとしますよね。
その上、悪評のある方が生き易いだなんて。目から鱗です。

次の言葉なんかは、思わずそうだといいたくなります。

「夫は先日も千五百円で新しいパジャマを買い、色あせて古いパジャマを惜しそうに捨てながら、
「ああ、やっぱり、風呂に入って清潔なパジャマを着て、自分の気に入った硬さのベッドに寝っころがって、本を読んだりアホなテレビを見るのが一番休まるなあ」
と当たり前すぎることを言う。こういう志の低い生き方を人生で大きな幸福と思い、女房もまたそれに同調する。」(『疲れない人間関係のヒント』より)

志の低い生き方」かどうかは意見の違うところですが、でも、日常の些細なことの中に大きな幸せがあるということには、私も同意します。

夫は私によく言います。「あなたは性善説の人だ。人は自分と同じようにするはずと思っているかもしれないけれど、そうじゃないんだよ。僕は性悪説だから、人には期待しない」
そうなのかもしれません。


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